みなさんこんにちは!koheiです!
いつも僕が運営している「Hei Blog」を読んでいただいてありがとうございます!
読者の皆様
小さい頃はどんなことして過ごしてたの??
ありがたいことにこんな僕に興味を持ってくれる人が増えたので
このページではこのブログを運営している「僕に関して」詳しく紹介していきます。
幼少期のkohei
0才〜3才
僕は高知県に男だらけ3人兄弟の次男として生まれました。
お父さんによると体重が2,500gでかなり兄と弟に比べるとかなり小さかったと言われました。
この頃の記憶はもちろんありませんが、(おそらく)1番最初の記憶が
マンションの廊下を三輪車で端から端まで行って頑張って逆向きにしてまた走る
という記憶です。
23年前の記憶なので自分もうろ覚えなのですがマンションの廊下を三輪車で走るが僕の1番最初の記憶です。
4才〜6才
この頃になると少しづつ覚えていることも増えてきます。
両親が共働きだったということもあり保育園と幼稚園に通っていました。
まずは保育園時代のkoheiに関して。
保育園の時の1番の覚えているのが『バナナ』です。
保育園でおやつの時間があったんですがその時にバナナが出てきて吐きました。笑
もちろんバナナアレルギーではないんですがその時に
『バナナ=吐く』
みなたいな数式が完成されてそれ以来バナナは食べれませんw
チョコ系の甘い食べ物は大好きですが『チョコバナナ』みたいにバナナが入ってしまうと食べれなくなります。
続いて保育園時代のkoheiに関して。
保育園時代は初めての習い事である水泳を始めました。
始めたきっかけは忘れましたが、おそらく兄も通っていて僕も行くみたいな流れでした。
毎週日曜日?だったかな、スイミングスクールがあったのですが嫌すぎてめちゃめちゃ駄々こねてました。笑
行きたくなさすぎて水着をトイレに隠したり行く前にお母さんにくっついていたり行ってもプールサイドで泣いたりしていました。
そんな調子で行っていたのでなんでも出来た兄はスクールの中でも早い方でした。
僕は数年間行ってもクロールと平泳ぎと背泳ぎしかできるようにならなかったです。
ちなみに僕の弟は9歳下で、水に顔がつけれないという理由で同じスイミングスクールに通いますが
上達して短水路(25m)プールのクロールでは全国3番で他の兄弟に比べてかなり出来が悪かったと思います。
同じ時期に硬筆や習字の習い事に通っていました。
こちらも兄が通っているという理由で半ばイヤイヤ行き始めたのですが全く上達しなかったです。
一緒に始めた兄は同じ10級スタートで最後は4段までいってましたが、僕は4級でひたすら停滞していました。
この時に思ったことが2つ。
✔︎ 習い事上手くならない辛い・・・
この後も出てきますが、兄が出来すぎて色んな人から様々なことで比較されることもあってかなり辛かったですwww
少年時代ののkohei
小学校時代
珍しいかもしれませんが僕は小学校を受験して入学しました。
1個上の兄はサラッ合格したようですが僕は元々不合格で繰り上げ入学で入学することができました。
違う小学校の入学式のオリエンテーションの最中に電話がかかってきて繰り上げ入学ということが決まったようです。
結果的に行って良かったですがここでも兄と比べて自分はできないと思わされました。。。
僕の小学校時代は習い事にかなり多く行っていました。
- 硬筆・習字
- スイミングスクール
- サックス
- 公文
- 柔道
- お絵描き
- 英会話
- 中学受験の塾
振り返ってみてこんなにも行ってたんだと思いました。笑
間違いなく自信を持って言えることですがどの習い事全く上達せずにイヤイヤ通ってました。
そんな僕に習い事をさせてくれてたくさんお金を使ってくれて親には感謝です。
強いていうなら小学4年生の後半から通っていた塾は希望の学校に入ることができました。
ですが
- 集中力が続かない
- 授業でうるさくて怒られる
- 成績ももちろん悪い
などダメ生徒要素満載で、いつもお母さんに怒られてました。
高知では進学校が3校ありTOP3のどれかにに入れば中高一貫だし大学進学も良いとされていました。
兄は勉強も出来て高知県で1番の中学校にサラッと入学していました。
相変わらず6年生の夏休みが終わっても勉強しない僕でしたが6年生の11月に転機が訪れました。
受験を3ヶ月後に控えた塾の模試の結果ですが志望中学校の合格確率が30%でした。
kohei
めちゃめちゃ焦ったことを今でも覚えていますw 正直、両親も諦めていたと思います。
その当時の僕の心境としては
塾に3年間も通ってるし落ちたらダサい。
兄貴が頭良いから俺もTOP3の進学校にいかなければカッコ悪い・・
今思えば下らないですが小学生の僕としては必死でした。
そこから朝から晩まで死ぬほどめちゃめちゃ勉強して無事TOP3に入学することができました。
正直運が良かったかもしれませんが、合格でめちゃめちゃ嬉しかったです!
✔︎ 運でも合格は合格だ!!!
✔︎ でも俺だってやれば出来た!!!!!
受験3ヶ月前の合格率30%を乗り越えれたことは人生12年間で初めての成功体験で自信になりました。
中学校時代
無事中学校に入れたkoheiですが、中高一貫高校で高校にもエスカレーター式で進学することができました。
さらに僕の通っていた学校は東京や関西の有名私立大学と強いパイプがあり
定期テストを頑張っていれば推薦してもらえる指定校推薦の制度がありました。
成績が加味されるのは高校の定期テストからなので中学時代は全く勉強しなかったです。
兄が入っていたからという理由でバドミントン部に入部しました。
ちなみに現在世界ランキング1位の百田選手は世代的にいうと僕の1個下です。
このバドミントン部に入部という経験ですが後々で大きな影響を与えることになります。
僕は社会をなめ腐っていた中学生でした。
学校でも先生に対して偉そうにしたり親にもここに関してはとても迷惑を掛けたと反省しています。
部活の先輩にもタメ口で話して
尊敬してないのに敬語で喋らんわボケ!!!
こんなこと先輩にサラッと言ったり
体育館が使えない外練の日は部室で大富豪をやったりと
今思えばめっちゃイキがった中学生でした。
高校時代
高校時代は僕の人生が大きく動いた3年間でした。
- バドミントン
- 努力と成功体験
- 運
順番に説明します。
「バドミントン」
僕は高校1年生の時に大阪で開催されたインターハイ(全国大会)に団体で出場しました。
強豪校ではなく部員も8人くらいでしたが高知県の1,2,3位のメンバーが揃っており全国大会に出場することができました。
僕は弱かった訳ではないですが全国で戦えるレベルかというと全くそうではないです。
- 3年生:3人
- 2年生:3人
- 1年生:2人
ということもありベンチに入ることが出来てバドミントン雑誌にも全国出場者として名前を残すことができました。
「努力」
僕の高校は指定校推薦という定期テストさえ頑張っていれば有名市立大学に推薦してもらえるという神制度がありました。
なので定期テストはめちゃめちゃ頑張っていました。
とは言っても元々は勉強が嫌いなのでテスト前1週間から詰め込む作業を行っていました。
✔︎ 大でも小でも座ってして勉強
✔︎ 眠くなったらメガシャキとBLACKBLACKを食べる
こんな生活をテスト期間の2週間は行っていました。
当時は大学に行かないといけないでも、勉強は嫌いだ・・・
ということを思っていたので両親もビックリするくらい勉強していました。
定期テストは10教科科目がありましたが、100点を6個取りました。笑
無事に指定校推薦で偏差値60後半の希望の大学に行くことができ努力が報われたと感じれた瞬間です。
目標の為に自分を追い込んで死に物狂いで努力できたことは出来損ないの自分にとって大きな成功体験になりました。
ちなみに当時の2011年の高校3年の夏休み明けに受験した模試の結果を母に送ってもらいました。
テスト前に詰め込みを行っていた為、勉強していないといけない模試は散々な結果でした。笑
指定校推薦会議の前に先生たちで誰を校内で推薦するか会議があるらしいのですが
よくこんな成績の僕を推薦してくれたなと思います。
控えめに言って指定校推薦で大学に入学できたのがかなりラッキーでした。
「運」
これまでの人生の大きな節目の時には必ず良い運が働いています。
中学受験であったりインターハイ出場や大学進学など。
今もそうですし、大きいことから小さいことまで考えても僕はめちゃめちゃ運が良いです。
僕なりに運が良い理由を考えてみました。
- 気持ちで負けない
- 墓参りに行っている
僕は何か思うようにしたい時には気持ちが最重要だと断言できます。
俺ならできる!気持ちで負けない!!など本当に気持ちに勝る大切なことはないです。
実際受験の時も最後に志望校に合格したり部活で結果を出している人は途中で上手くいかなくても
強い気持ちを持ち続けてた人が思う通りになっていました。
合わせて僕は祖先に助けてもらっているという考えが大きいです。
自分の知っている家族やその家族のおじいちゃんおばあちゃんなど知らない祖先まで含めたら
家族は何百万人いるって考えられますよね。
今は東京に住んでいますが実家に帰った時は美味しそうなお土産を持って仏壇に手を合わせてお墓参りに行って感謝する。
僕が運が良いのは祖先をきちんと敬っているから何百万人もの家族が良い方向に僕を動かしていると感じてます。
大学時代のkohei
大学4年間のうち1,2年のときは本当にプー太郎でした。
なんとも模範的な学生生活を送っていました。
バドミントンばかりやっていたので関東大会で優勝できたことと
大学一年生の春休みに2ヶ月のカナダへの短期留学行ったこと以外はクズな生活を送っていました。
「長期営業インターン」
大学3年生になった時に就活のことを意識し出して、当時社員が5名の新卒採用の会社で1年弱、長期インターンシップを行っていました。
ひたすらテレアポをしまくって1アポ取れたら1,000円というゴリゴリの営業を行っていました。
ですが最初は結果が出ずテレアポも全くできず社長から
営業できる状態じゃないからひたすら練習して!!
って営業インターン生が20人くらいいましたが1人だけ練習せず社員さんとロープレしてました。
kohei
初月は時給換算すると30円でしたが最後はマネージャーにまで上がって当時の営業インターン生15人を束ねていました。
最後は時給換算して2,000円でインターン生だけで600万円の売り上げを作れるまでに成長できたのは自分にとってかなり大きい経験です。
長期インターンの経験があったので就活も比較的サクサク進み1カ月くらいで就活を終えることができました。
グローバル展開している社員数が20,000人規模のIT会社に無事に入社することができました。
長いプロフィールを読んでくれてありがとうございます!
僕のブログでは「英語」「映画」「旅行」「仕事」に関して主に記事にしています。
読んでいる人の為になる記事を書こうと思うのでこれからもよろしくです!^^